誰に「勝つ」のか?
本日も当ページにお越し頂き、ありがとうございます。
うながし家(か)のつばさです。
以前の僕、この言葉にこだわっていました。
「勝つ」
丁度「勝ち組」という言葉が流行り始めた時期と被ります。
で、今の僕はこんな風に思う訳です。
一体何に対して”勝とう”としていたのだろう、と。
以前の僕は、「勝ち組」であろうとしました。
他者と比較して、「勝っている」状態になるのが好きでした。
それは収入に執着していたことにも、顕著にあらわれています。
「勝ち組になる」
「他者を出し抜く」等々。
こんなテーマのセミナーや著書があれば、すぐに飛びついていました。
(今でもこのテの著書やセミナーは、人気あるみたいですね)
そして、他人を出し抜くことばかりを考えていました。
当時の僕が考えていたことは、常に自分の利益のみ。
他者のことなど、歯牙にもかけていませんでした。
人間って、一人では何もできないんです。
一人で生きているつもりでも、絶対にどこかで誰かと関わっているんです。
本当に一人で生きたいのなら、無人島にでも行けばいいんです。
でも、この社会は協力関係で成り立っています。
他者を排除しようとしたら、何一つ成立しなくなります。
当時の僕は、そんなことにすら気付けませんでした。
元々「働く」とは「傍を楽にする」こと。
誰かに貢献すること。
誰かの幸せに寄与すること。
それが仕事の役割です。
そんな仕事に「勝つ」という概念は必要でしょうか?
キレイゴトだと言われれば、それまでです。
実際、「競合」という言葉もあるように。
どこかが仕事を受注すれば、どこかが失注します。
ただ、ご一考頂きたいんです。
この理論を突き詰めてしまえば、誰も幸せになれないことを。
価格競争になれば、利益も減ります。
相手の粗探しばかりしていれば、自分の粗も探られます。
最悪、クオリティが低下して。
サービスの受給者にも迷惑をかけてしまいます。
トルストイの「天国と地獄」という、有名な話があります。
(実は出典が不確かなのですが、それは置いといて)
長いスプーンを手に括り付けられた死者。
「地獄」では食事をなんとか自分で食べようとして、
長いスプーンが邪魔をして誰も食事にありつけない。
結果、全員が飢えている。
一方で「天国」では。
その長いスプーンを使って、お互いに食べさせ合っている。
結果、全員が飢えることなく幸せになっている。
社会もこれと同じだと思うのです。
奪い合えば、足りなくなる。
分け合えば、満たされる。
“勝とう”とするのではなく、”奪おう”とするのではなく。
“幸せにしよう”と、”協力し合おう”と考えること。
その方が、この社会ずっとよくなるはずです。
【Q:どうやって幸せにしますか?】
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