「立ち向かう時」は、どんな時?
こんにちは、うながし家(か)のつばさです。
前回のコラムで、僕は「逃げることは恥ずかしいことじゃない」と謳いました。
そのうえで
「立ち向かうべき時」と「逃げるべき時」を間違わないことが大事だとも。
では、皆さんに質問です。
「立ち向かうべき時」
つまり
「逃げるべきじゃない時」とは、どういった時でしょうか?
自分や大事な人に、危害が及びそうになった時?
理不尽を突き付けられた時?
確かにそれもあるでしょうが、
ちょっと特殊な状況のような気がします。
割と頻繁に訪れる「逃げるべきじゃない時」。
それは「自分自身と向き合う必要に迫られた時」だと、僕は考えています。
少し、僕の話をしましょうか。
以前の僕は、この「自分自身と向き合う必要に迫られた時」から、
ずっと逃げ続けてきたんです。
どういうことかというと、
「今までの自分」に固執して、変わることを拒絶していたんです。
この世界は、常に変化し続けています。
その世界の中で「変わらない」ということを選択するということは、
即ち「世界から取り残される」ことと同じです。
ビジネスに例えたら分かりやすいですかね。
コンビニやポケットベル、携帯電話なんて、
出た当初はすごかったですよね?
でも、現在は飽和状態です。
ポケットベルなんか、まだ持っている人いるのでしょうか?
【成功モデルは永久に崩れない】
当然、そんなことは在り得ません。
人間も同じことだと思います。
僕は「変わること」が怖かったんです。
「変わる」という選択肢を選ぶことで、
これまでずっと目を背けてきた自分自身の嫌な面、未熟な面などを。
直視しなければいけなくなることが、この上ない苦痛だったんです。
だから、ずっと逃げ続けてきました。
気付かないふりをして、目を背けて耳をふさいで。
「自分と向き合う=変化を受容する」ことを避けてきたんです。
その結果、どうなったか。
僕は日常生活にすら苦痛を感じるようになりました。
楽しそうにしている人が妬ましくて。
一生懸命な人が目障りで。
何かに熱中できる人が、心底うらやましくて。
その責任を、全て自分ではなく他に擦り付けていました。
「こんなにも面白くないのは、この世界が悪い」とばかりにね。
31歳になって、僕はようやく「自分と向き合う」ことを始めました。
何もかも失いかけて、ようやく一歩を踏み出せたんです。
そこからは、様々な変化がありました。
会いたい人に会えるようになったり。
そこからまた、ご縁が繋がったり。
笑顔の人が周りに増えたり、自分自身の笑顔が増えたり。
日常で使う言葉も、全く違うものになっていきました。
「自分と向き合う」ことって、とっても勇気が要ります。
「変化することを決意する」って、とっても怖く感じます。
でも、それを乗り越えることが出来た先には。
きっと素敵な未来があります。
「現状が苦しい」
そう感じていらっしゃる方がいるのなら。
ぜひ一度、ご自身と本気で向き合ってみることをおススメします。
自分が目をそらしている自分自身と。
ぜひ向き合ってみてください。
きっとそれは「あなたの世界が変わる」最初の一歩になるはずです。
【しつもん:自分と向き合うと、どんな変化が起きますか?】
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(注記)
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